| 昭和18年 |
品川区生まれ(乙女座、O型) |
| 昭和31年 |
渋谷区立山谷小学校卒 |
| 昭和38年 |
成城学園中学を経て同・高校卒 |
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高校2年、蔵王スキー場にて派手に大骨折。そのため、一年留年 |
| 昭和42年 |
上智大学理工学部化学科卒 |
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80人の学生中、女子学生は4人という逆ハーレム状態なるも、1年次は不登校&成績不振で落第の噂 |
| 昭和44年 |
同大学院修士課程修了、理学修士 |
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専門課程に入り化学の面白さに目覚め、チョッと勉強 |
| 昭和44年 |
北里大学薬学部薬品製造化学教室に助手として勤める。 |
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当時の教授が発する「結婚したら辞めてください」「子どもができたら辞めてください」という言葉が |
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その後、女性問題にコミットしていく原因となる。 |
| 昭和47年 |
3月、長女誕生 |
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渋谷区に0才児保育がなく、6月退職 |
| 昭和49年 |
7月、夫の転勤に伴い、親子3人米国・マサチューセッツ州に転居 |
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キャンパスには「feminism」「ecology」という言葉が飛び交い、勉強会に誘われるも、 |
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当時の私には意味しているところが、全く分からず、残念、無念。 |
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日本で、これらの言葉が出てくるのはもう少し待たねばなりませんでした。 |
| 昭和51年 |
10月、二女誕生 |
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米国より日本に帰国して丁度1ヶ月で誕生。夫は妊娠10ヶ月中、9ヶ月は米国であり、 |
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もう一月滞在を伸ばせば米国生まれなのだからと、米国籍も「ください」と米国大使館に掛け合うも、 |
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あえなく「NO!」。ヘンな夫です。 |
| 昭和53年 |
4月、三女誕生 |
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3人の子どもたちがズラーッと並んで寝ている姿を見ては、独り(?)幸せに浸る。 |
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至福ってこういうのを言うのね、というのが実感でした。 |
| 昭和57年 |
7月、夫の赴任に伴い、ブラジル・リオ・デ・ジャネイロ州に転居。 |
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ここでは、日本人学校のPTA副会長始め、本当にさまざまな経験をし、 |
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今でもお付き合いさせて頂いている多くの友人を得る。 |
| 昭和61年以降 |
リオより帰国。父親の介護、渋谷区立幡代小学校創立99年で初の女性PTA会長、 |
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青少年委員、女性(当時は婦人)の集い実行委員長等々を経験。 |
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また、校長:樋口恵子(評論家、東京家政学院教授)、副校長:斉藤茂(ジャーナリスト)、 |
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事務局長:板本洋子(日本青年館結婚相談所長)主宰の「花婿学校」(実は男性向けジェンダー教育の場) |
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の事務局を務めるながら、セクシュアルハラスメント防止の啓発運動など、 |
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地域・女性の視点に重点を置いた活動を積極的に続ける。 |
| 平成11年 |
明日の東京を考える女性の会「ガラガラにっポン」および中村敦夫参議院議員の支援を受け、 |
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無所属に新人として、統一地方選で渋谷区議会議員に初当選 |
| 平成15年 |
無所属で2期目、統一地方選で渋谷区議会議員に現職トップで当選 |
| 平成19年 |
無所属で3期目、渋谷区議会議員をめざすことを決意。 |