1999年、私は統一地方選で渋谷区議会議員に無所属で初当選しました。選挙に出馬する決意は直前の1998年12月末に固めました。直前まで、「議員になろう」という選択肢は私の中には無かったのです。
ただ、女性問題にはそれ以前から関心があり、勉強も活動もしてきました。一方で、かつて大前研一さんが提唱した「平成維新の会」の東京在住の女性会員が集まり、日本を東京をガラガラと変えたいという思いで1995年に結成した、明日の東京を考える女性の会『ガラガラにっポン』で、政治にモノを言い、行動もして参りました。
前回の統一地方選が行われた森政権当時、公明党も当時の自由党も与党になってしまう一方で、最大野党の民主党はバラバラで意見統一も出来ないありさまでした。そんな中、日本を取り巻く情勢は、ヤレ国旗国歌法だ、周辺事態法だ、新しい歴史観だとかと、なにやら、「戦時体制作りか??」と勘ぐりたくなるような剣呑な状況になってきていました。
翻って、地元の渋谷区を見ると、ここもひどい状態でした。区議40人のうち、共産党の5人と無所属の2人以外、総与党になっていました。小倉区長のもと、やたらと訳の分からない箱モノがつくられ、情報は隠され、職員は自分の立場に無自覚で窓口サービスが悪く、区民とのトラブルが終始絶えないというありさま。そのうえ、2000年の地方分権一括法が施行されれば区長は大変な権力を有することになり、議会における行政のチェック機能が正常に果たされていない状況下で、政・官・行の癒着がどこまでいくのかと、強く懸念されました。国、そして地元渋谷区の状況を見るにつけ、「誰か、世の中を正して!」と心底思いました。
私には3人の子どもたち(今では全員成人です)がいます。私は、常々子どもたちに、「気が付いた人がやる」「世の中の大勢に流されるのではなく、自分の頭で考え、自分の信念に基づいて行動する」ということを言ってきました。また、子どもたちを通し、PTA活動をし、PTA会長もやりました。そのような経験を通じ、私には彼等に平和で、美しい日本を引き継ぐ責任、そして、これ以上日本を駄目にしてはならないという思いを強くしました。そして、「誰かやって!」ではなく、自分でやる決意をしました。

先ずは地元、渋谷区から変えていかなくては!!

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